司馬遼太郎の『竜馬がゆく』から、
田島が好きなフレーズ集第二弾です。^^
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不合理を憎む精神と合理化をする才能。
いままでの習慣とか、古い権威による不合理、
などというものが、素直に入りにくくできている。
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松平春嶽。たんに秀才ではない。
容貌のやさしさに似ず、
旧習を屁ともおもっていない豪儀さと、
いい案は多少の弊害があってもどんどんとりあげてゆく度胸が、
うまれついてそなわっている。
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すでに薩長は、歩みよっている。竜馬のいう、
「小野小町の雨乞いも歌の霊験によったものではない。
きょうは振る、という見込みをつけて小町は歌を詠んだ。
見込みをつけるということが肝要である」
という理論どおり、すでに歩み寄りの見込みはついている。
あとは、感情の処理だけである。
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「年上の人を相手に猥談をしちゃならん」
もともと竜馬は独特の話術の持ち主で、
天下国家を論ずるときも男女の卑俗な機微をたとえばなしに使う。
大宰府でもそれをやり、
三条実美卿をはじめ公卿衆をころがすほど笑わせた。
そのあと三条卿がその手記で、
「坂本竜馬来る。偉人なり」と評価したからまだよいが、
いつもこの手でうまくゆくとは竜馬はおもっていない。
「図に乗って淫談戯論をするうちに、
どうしてもその語中に見下げられるところが出てくる。
年配者は、おもしろがりながらも心中、軽蔑する」
猥談の節度がかんじんだ、
その節度の感覚のある男ならなにをやっても大事を成せる男だ。
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「古来、英雄豪傑とは、
老獪と純情のつかいわけのうまい男をいうのだ」
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人生、
気のあった朋友にひさしぶりに会うほどのよろこびはない、
と竜馬は思った。
中岡との対話は、竜馬にとってもはや悦楽に近い。
何事も前提なしに語り合えるし、
双方かんがいいために、
語り合う言葉の奥まで感じとることができた。
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「ばかめ。
おれが、あのちっぽけな土佐藩で多少の地位を得たいと思っている、
とおぬしゃ思うちょるか」
「竜馬は、容堂公でさえ眼下に見くだして相手にしちょらんぞ。
まして容堂公の乾分にすぎぬ後藤象二郎をや。
かれがこの手柄で藩内の何様になろうと、
竜馬の知ったことかい」
「おれのうまれは土佐藩の軽格のしかも冷飯育ちだが、
考えちょることは、土佐藩ではない。
日本のことじゃ。
日本のことが片づけば世界のことを考える」
【質問】英雄豪傑とは、なにとなにの使い分けがうまい男ですか?(笑
今よりサラリーマン時代の方が、ハマっていましたね。^^;
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